寓話
水車はひとりでに回るが、水門のそばには今も人が座っている
青嵐村に新しい水車ができた。かつて製粉所は人力で石臼を回しており、遅く、疲れ、しばしば順番待ちもあった。新しい水車が山泉につながると、石臼はひとりでに回り始め、麦は袋ごとに粉へと変わっていった。村人たちはこれは良いことだと思った。
水車ができたばかりの頃、村長はそれを完全に自動で動かしたいと思った。水が来れば回り、穀物が来れば挽き、挽き終われば袋に詰める。粉屋も喜んだ。もう臼のそばに張り付かなくてよいからだ。
最初の数日は順調だった。しかし豪雨の後、山泉の水量が突然増えた。水車は猛スピードで回り、石臼は熱くなり、小麦粉は焦げた。さらに数日後、送られてきたのは小麦ではなく、石混じりの古い穀物だった。水車は見分けがつかず、投入されればただ挽くだけだった。
水車を止めて、やはり人が臼を挽けばよいと言う者もいた。粉屋の主人は同意しなかった。彼は言った、水車が確かに我々に大量の労力を省かせてくれた。問題はそれが回ることではなく、いつ回り続けるべきでないかを知らないことだ、と。
そこで村は製粉所を改めた。水車は依然として自動で回るが、水門のそばに守り人が座る。彼は毎回押す必要も、毎袋確認する必要もない。いくつかのことだけを見る。水流が急ぎすぎていないか、石臼が熱くなりすぎていないか、穀物袋に異常がないか、粉の色が変わっていないか。
守磨人は手元に三本の縄を持っていた。第一の縄は水車を遅くでき、第二の縄は一時的に臼を止められ、第三の縄は糧袋を人手の選別台へ回せる。普段はめったに縄を動かさないが、異常が現れればすぐに介入できる。
その後も、製粉所の効率は下がらなかった。ほとんどの穀物は依然として水車が自動で挽き終え、守磨人は少数の異常だけを処理した。村人も貴重な穀物をより進んで持ち込むようになった。ここは誰も見ていない機械ではないと知っているからだ。
村長はようやく理解した。水車を見ている者は水車の敵ではない。その存在が水車により多くのことを担わせる。自動化が深まるほど、システムのそばで観察、一時停止、修正、引き継ぎの権限を持つ人が必要になる。後に隣村は水車をそのまま真似たが、守磨人を置かなかった。彼らは壁に規則を貼っただけで、湿った麦や石があってもそのまま挽いた。青嵐村の守磨人はそれを聞き、自分の水門のそばに記録板を追加した:いつ介入し、なぜ介入し、結果はどうだったか。村長はようやく見た。バイパス監督は座って眺めることではなく、権限と責任を伴う観察の位置なのだ。