寓話
井戸の水はいつも濁っているのに、村長はいつも水桶を替えている
白鹿村の井戸水が突然濁った。最初に気づいたのは豆腐売りの老人だった。彼が水を汲み上げると、桶の底は細かい砂だらけだった。村長はその桶の水を捨てさせ、新しい桶に替えてもう一度汲ませた。新しい桶の水もやはり濁っていた。
ある者は言った、水を汲む者の手が重すぎて井戸の底をかき混ぜているのだと。そこで手の軽い若者に代えた。水は依然として濁っていた。またある者は言った、桶が古すぎて木屑が水に落ちているのだと。そこで新しい桶を買った。水はやはり濁っていた。
その後数日、村では表面的な問題が次々と処理された。桶を替え、縄を替え、水汲みの時間を替え、人をゆっくりさせた。どの方法にも少しの道理があり、人を忙しくさせることもできた。しかし豆腐老人は言った。水は桶の中で濁るのではなく、井戸から出た時点で濁っているのだと。
村長はようやく老井匠を招いた。井匠はまず桶を見ず、井壁に沿って下へ調べた。彼は井壁の第三層に細い亀裂があり、雨後の泥水がそこから浸み込んでいるのを発見した。桶、縄、水汲み人こそ根本原因ではなく、問題が起きた後に最も見えやすい場所にすぎなかった。
井戸職人はひびを補修し、井戸口に排水溝も設けた。翌日、水はゆっくりと澄んでいった。村長が問いかけた。なぜ我々はあれほど多くのことをしてきたのに無駄だったのか?井戸職人は答えた。あなたたちはいつも、水が濁った後に目に最も近いものを処理していたからだ。本当の問題は、水が濁る前に隠れている。
後に村では規則を定めた。問題に遭ったら、まず五回なぜと問う。なぜ水が濁るのか。泥砂が井戸に入るからだ。なぜ泥砂が井戸に入るのか。井戸の壁が裂けたからだ。なぜ井戸の壁が裂けたのか。雨水が長く洗い流したからだ。なぜ雨水が洗い流すのか。井戸口の排水溝が詰まったからだ。なぜ誰も気づかなかったのか。巡回は桶と縄だけを見て、井戸の壁を見なかったからだ。
村長はまた、修理のたびに結果を確認するよう求めた。ひびを補修した後三日で水が澄めば、方向は正しい。もし水がまだ濁っていれば、誰かが不注意だったと宣言するのではなく、上流に沿って調査を続ける。根本原因は結果による検証に耐えなければならない。後に村は豆腐が酸っぱくなる問題にも直面した。誰かはすぐに豆を替えようとしたが、村長はまず皆に新規則に従って調べさせた:水、火加減、石臼、保存時間、天気。最後に分かったのは、夜間に保管した木棚が竈の灰に近かったことだった。村民はこれで、根本原因分析は井戸水専用ではなく、変化が起きる前まで遡る習慣なのだと信じた。
それ以来、白鹿村は忙しさを解決策とは見なさなくなった。桶を替えるのは速くできるが、井戸を補修してこそ役に立つ。